深読み、Radiohead通信|歌詞和訳と曲の解釈

Radiohead・トム・ヨーク・The Smileの歌詞を和訳してます。トムの心境やバンドのエピソードも交えながら「こう聴くとめちゃ深くなるよ」といった独自解釈を添えてます。

【歌詞解説】True Love Waits / Radiohead - 3つの視点で描かれる「本当の愛」

この曲が最初に発表されたのは1995年12月のフランス公演。
それから20年後、『A Moon Shaped Pool』に収録されるまで幻の名曲とされてきました。

 

【日本語訳】

私は信念を捨てるわ
あなたとの子供を授かれるなら
私は姪っ子のように着飾って(※)
あなたの膨れた脚を洗うわ(※)

だからどうか
どこにも行かないで
行かないで

僕の生活なんてどうでもいいんだ
ただ時間を潰すみたいにさ
君の小さな手
君の狂おしいほどかわいい笑顔

だからどうか
どこにも行かないで
行かないで

本当の愛は待っている
幽霊の出る屋根裏部屋で
本当の愛は生きている
ペロペロキャンディとポテトチップスの上で

だからどうか
どこにも行かないで
行かないで

 

【歌詞】

I’ll drown my beliefs
To have your babies
I’ll dress like your niece
And wash your swollen feet

Just don’t leave
Don’t leave

I’m not living
I’m just killing time
Your tiny hands
Your crazy kitten smile

Just don’t leave
Don’t leave

And true love waits
In haunted attics
And true love lives
On lollipops and crisps

Just don’t leave
Don’t leave

 

【解説】

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『True Love Waits』が最初に発表されたのは遡ること20年(!)、1995年12月のフランス公演とされています。『The Bends』のツアー中だったレディオヘッドが、トムのアコースティックギターとキーボードの構成でファンに初披露しました。

そこから『OK Computer』『Kid A』・・そして『In Rainbows』、毎回レコーディングにチャレンジするものの、満足のいくアレンジに仕上がらず、なかなかスタジオアルバムに収録されずに来ました。

※『Kid A』の収録時も、エドは「この曲の持つポテンシャルはとんでもないものだ。なんとか形にしようとしているが・・・」と語っていた

 

そして2016年5月、満を持して『A Moon Shaped Pool』に収録されました。最初のギターポップから一転、多重ピアノによるアンビエントソングとして。この「熟成」の裏には何があったのでしょうか。

トムがこの曲にかけた熱意に想いを馳せながら、歌詞を見ていきましょう。

 

ラブソングに似つかわしくない不思議な言葉選び

『True Love Waits』の歌詞には、ところどころ不思議な響きが含まれています。

まず気になるのは「niece(姪っ子)のように着飾る」や「swollen feet(膨れた脚)を洗う」という表現。ただのラブソングにはふさわしくないですよね。(フリフリのドレスを着たトムなんて想像できませんし)

2番では「君のtiny hands(小さな手)」。1番の「You」が子供を作る相手だとすると、奥さんの手をそんな風に表現するでしょうか?

続いて3番の歌詞。「本当の愛はhaunted attics(幽霊の出る屋根裏部屋)で待っている」。「本当の愛はポテトチップスの上で生きている」。もうこれに至っては、もはやどういうこと?という感じですよね。

そして、極め付けはサビで繰り返される「Don't leave(どうか行かないで)」という表現。主人公が幸福の中にいるのなら、これは一体、誰に向けた言葉なのでしょうか?

 

どうやら『True Love Waits』の歌詞は多義的な意味を持っているようです。ちょうど『Fake Plastic Trees』でトムが見せた、複数人の視点から1つのものを描くテクニックだと解釈するのが良さそうです。

※『The Bends』〜『OK Computer』期のトムは、複数の主人公を用いた歌詞を好んで使っていました。『Kid A』以降の一人称的な描写手法を確立するまでは、彼のレトリックセンスは荒削りなものでした

 

そしてここにはただの愛だけではなく、何か悲しみに似た感情さえ感じ取ることができます。それは一体何なのでしょうか?

 

男女の愛、子どもへの愛、そして親への愛をひとつのキャンバスに

まず、トムは「本当の愛」を描くために「愛」を3つに分類しました。

  1. 男女間の愛
  2. 親から子への愛
  3. 子から親への愛

そしてこれを、1番〜3番でそれぞれの視点から描いたのです。

さらに面白いのは、1番の歌詞を「男女」の2人の視点を1つにオーバーラップして描いたことです。だから不思議な響きを持っていたのですね。

 

1番の歌詞を見ていきましょう。
まず男性視点から見ると、このような訳になります。

僕は信念に固執しないよ
君との子供を持てるなら
僕は姪っ子のように着飾って
君の膨れた脚を洗うよ

ここでの「姪っ子のように」は、トム自身のバンドマンとして外で喚き散らしている姿と真逆の存在(甲斐甲斐しいものの象徴)として利用されています。「膨れた脚」というのは、妊娠をした女性に見られる脚のむくみのことでしょう。厭世的な自分を捨て、現実に向き合うよ、ちゃんと1人の男性として君に寄り添うよ、という意思表明です。

 

そして女性の視点から見ると、このような訳になります。

私は信念を捨てるわ
あなたとの子供を授かれるなら
私は姪っ子のように着飾って
あなたの膨れた脚を洗うわ

こちらの方が散りばめられた単語はしっくりきますが、やはり1点「膨れた脚」は不思議な響きを持ちます。男性の脚が膨れるとしたら・・それは打撲?はたまた怪我?一体、何でしょうか。

この謎は次のサビに答えがありそうです。

だからどうか
どこにも行かないで
行かないで

結婚してさあ子供を授かろうという女性は、普通「どこにも行かないで」なんて言いません。この言葉には何か「悲しみ」に似た感情が見え隠れしています。きっとこの男性は二度と帰ってこれない状況にいるのです

「彼」が脚が膨れるほどの怪我を負っており、もう帰ってこないのだと想定すると、彼は大怪我を負ってしまい、天国に旅立とうとしているのです。(おそらくその傷は戦争や闘争で負ったものです)。これから人生を共にしようとする相手と永遠にさよならをしなければいけない悲しみ・・・。

私は信念を捨てるわ
あなたとの子供を授かれるなら

(中略)

だからどうか
どこにも行かないで

男女の愛としてこれほど深いものがあるでしょうか。トムは愛をただの恋愛感情として描くことをやめ、より高次な、普遍的な愛こそが「本当の愛」なのだと説いたのです。

 

また余談ですが、女性視点では別の見方をすることもできます。

トムがよくやる方法ーー聖書や寓話からの引用として捉える方法です。聖書を引用元とするのであれば、「彼」をキリスト、「女性」をマグダラのマリアと考えるのが面白いかもしれません。マリアはキリストの最後を看取る女性とされています。裸足で鞭を打たれながら、最後に磔にされた「彼」の脚を、涙で濡らした布で清めるマリア。彼は二度と帰ってこないと知りながら

彼女の心の中にも「本当の愛」が芽生えていたことは想像に難くありません。

 

親になるということ。それは究極の自己犠牲。

2番の歌詞は「親」の視点になります。(ここは主人公を男女どちらにしても同じ訳になるので、便宜上、男性視点としています)

僕の生活なんてどうでもいいんだ
ただ時間を潰すみたいにさ
君の小さな手
君の狂おしいほどかわいい笑顔

 

親になるということは、 人生の主人公を子供にバトンタッチすることです。自分のこれからの人生すべてを捧げて、1人の人間に託すこと。それは究極の自己犠牲です。

トムが第1子、ノアくんを授かるのは2001年。この曲を作った6年後です。きっとそれに先立って彼は子供を授かること、親になることとは何かを本気で考えていたんだと思います。バンドマンとしての自分と、親としての自分。そしてたどり着いたのが「自己犠牲」の精神だったのです。

もちろん当時の彼にとって、親になることは想像でしかなかったと思いますが、その後20年の間にその考えは確信に変わっていったのでしょう。歌詞を変えずにスタジオ録音されたことは、それを物語っています。

そしてその自己犠牲の精神で得たもの(人生のすべて)をもし失ったとしたら・・・。そう考えると彼は居ても立っても居られなくなったことでしょう。その気持ちの中にも「本当の愛」が存在している、彼はそう考えました。

だからどうか
どこにも行かないで
行かないで

いま手にしている幸せも不変のものではない。だからこそ愛おしさを感じるべきだ、というメッセージが隠れているのです。

 

孤独な子供が求めたもの。それは究極的な愛。

いよいよ最後、3番は子供から親への愛です。

ただ普通の子供は、親を当然のことのように感じています。何の疑いもなくごはんを作ってもらい、当然のようにおもちゃを与えてもらいます。トムは親と子供の愛を描くために、いろいろ頭を悩ませたことでしょう。そんなある日、彼はある悲しい事件を耳にします。

(幽霊の出る屋根裏部屋・・・の歌詞は)
トムが、何日にもわたり両親に放置された1人の子供がジャンクフードで食いつないで生き延びた、という話にインスパイアされたものだ。この歌には「嘆願」の意が含まれており、それは「どうか行かないで」という繰り返しで表現されている。

参考:True Love Waits (song) - Wikipedia

まだ幼く力を持たない子供が、孤独の中で取った行動。それは暗い部屋でお菓子で食いつなぎながら、何とかして生き延びるという選択でした。

トムはきっとその事件に強く心を傷めたことでしょう。そしてその子供の心を自分に投影したとき、それが自分の考えていた「究極の愛」なのだと理解したのです。

本当の愛は待っている
幽霊の出る屋根裏部屋で
本当の愛は生きている
ペロペロキャンディとポテトチップスの上で

この子供は救いを待っていたのです。来る日も来る日も・・いつ来るかもわからないその日をーー親の愛を。

だからどうか
どこにも行かないで
行かないで

この嘆願は、力を持たない子供が唯一望む願いでした。そしてこれは、ちょうど神という絶対的な存在に救いを求める人々の比喩でもあるのです。

 

トムは『True Love Waits』において、主人公たちを極限状態に置きました。そこで現れる愛こそが、混ざりっけのない「本当の愛」だと、彼は知っていたのです。

 

レコーディングされたピアノバージョン

彼にとってのラブソングはここで完成していたのかもしれません。巷で歌われる、ラジオの空き時間を埋めるだけのような「愛」とは一線を画す「本当の愛」がこの歌には込められています。

冒頭でも述べましたが、その後20年間、彼はこの歌を形にすべく奮闘することになります。ギターロックバンドとして世界の頂点に立っても、『Kid A』期で誰も手にしていなかった表現手法を手に入れても、『In Rainbows』期でロックを完成させても、彼はこの歌を完成させることはありませんでした。それほどまでに、彼にとってこの曲は特別なものであり、人生を賭して磨き上げるべきものだったのです。

 

そして『A Moon Shaped Pool』期、ついに彼は筆を置きます。このアルバムが持つ「死」への言及が、この歌の終着点だったのです。ギターとキーボードのリズムによるポップさはすべて削り落とされ、この稀代のラブソングは、最低限のピアノによる弾き語りとして録音されました。彼は「死」という極限状態を目前にして、「本当の愛」が輝くのを目にしたのかもしれません。これは皮肉なのか、はたまた運命だったのか・・・。

 

もちろん、アルバムリリース後の公演でも、旧来のアレンジ(ギターポップバージョン)も演奏されているので、バンドの中でも意見が割れているのでしょう。(得にエド・オブライエンはギターバージョンを主張してそうですよね)

きっとファンのみなさんの中でも意見は割れていると思います。でもトムがこの歌詞に込めたかった意味を考えると、壮大なアレンジではなく、ミニマルな構成が最も適しているのではないでしょうか。(とは言いつつも、バンドアレンジも最高に素晴らしいので、冒頭の映像はそちらを引用させていただきました)

 

この歌は、我々が持つ愛という概念そのもの変えてしまう力をもっているかのようです。

今回はそんなトム・ヨーク流のラブソングの紹介でした。

 

 

 

 

<あわせて読めば、もっと深読み>

 

・『True Love Waits』と同時代に作られたラブソング

 

 

・愛する人の死を受け入れることができるか。『A Moon Shaped Pool』収録。

  

・人生を捧げた相手へのレクイエム。『A Moon Shaped Pool』収録。