Netflix限定配信の映像作品『ANIMA』。ポール・トーマス・アンダーソン監督の手により、トム・ヨークの楽曲たちが見事なアートに昇華されている。
『ANIMA』というアルバム名
突然の「Anima Technologies」事件から2週間。ついにアルバムが解禁されましたね。
しかもNetflixで映像作品が公開。そして監督はあのジョニーの盟友、ポール・トーマス・アンダーソンだというから全く話題にこと欠かないですよね!
本作『ANIMA』は以前より、政治的なものに言及したものになると言われてきました。リリース直前のインタビューでもブレグジットや社会構造にかなり踏み入って熱弁していましたね。
「Not The News」がリードトラックとなっていることも、それに関わっているのでしょうか。早速考察していきたいと思います。
そもそも『ANIMA』の意味って?
「ANIMA(アニマ)」とはラテン語で生命や魂を指す単語ですが、一般的にはユングの心理学用語として知られています。トムいわく、今回のアルバム名は後者に由来するようです。
トム「最終的に『ANIMA』という名前になった理由の一つとして、僕が夢というものに魅了されていたということがあると思うんだ。(心理学者の)ユングの夢分析に影響を受けたものなんだけどね」
(上記インタビューより)
ユングによると、「アニマ」とは男性の夢に現れる「女性」であり、その男性の無意識に存在する女性らしさを投影したものであるとされます。(女性の夢に現れる「男性」は「アニムス」と呼ばれます)
アニマは男性の集合的 無意識の中にある女性像の元型であり(中略)常にある一人の女性に投影されている。その人物は自分にとってもっとも影響力を持った異性であり、最初は母親、そのあとはその人に深く関わる女性とされる。(中略)ユングによると、女性は男性にはないインスピレーションや、個人的なものに 対する細やかさを担っている。
Netflixの『ANIMA』に登場するアニマ
Netflixの映像作品に登場する女性は、トムにとってのアニマを表現しています。彼は幾度の障害に阻まれながらも、彼女を追い求め、そしてやっとのことで手を取り合うことができる、というストーリーです。
ユングにとってのアニマは「男性が持つ無意識下の女性的側面」でしたが、トムはこれを「男性が追い求める特定の女性像」と解釈したようです。
そしてストーリーの後半からは幸福に包まれた二人が描かれるのですが・・・全ては夢の中なのです。最後に目を覚ましたトムは、現実の世界には女性が既にいないことを思い出すのです。トムは失った女性をアニマとして夢に描いていたのです。
※トムは2016年に元妻レイチェルを亡くしている
ストーリー解説
アニマのストーリーは以下の流れです。
電車の中。主人公(トム・ヨーク)が眠りに落ちる
→気になる女性を見つける(=アニマ)
→女性が鞄を置き忘れていることに気づき、主人公は追いかける
→主人公は幾多の困難を乗り越える
→二人はついに出逢う。そして幸せなひとときを迎える
→主人公はバスの中で夢から覚める
→彼女はもういないと悟る(終)
あの女性は誰?
この女性こそが主題である「アニマ」なのです。きっと女性は主人公にとって最も大事な人だったでしょう。彼女がこの世を去った今も彼は夢に見てしまうのです。
鞄の意味は?
夢の中では行動が先にあり、理由は後から付け足されるのです。「鞄」は主人公が女性を追い求めるための理由になっています。
そしてそれはきっと「彼女の思い出(主人公に与えてくれたもの)」の象徴なのです。鞄は彼女の手に渡ることなく、途中で退場します。主人公が女性を追い求める理由を思い出し、必要がなくなったためでしょう。
ドリーム・カメラとは何だったのか?
こうしてみると、アルバム発表前に世界中に展開されたプロモーション「ドリーム・カメラ」が何を暗示したものなのかが見えてきます。
どうして夢は消えてしまうのか?
これは昔からよくある話です。私たちは毎晩のように夢の中ではるか彼方の非現実的でおかしな世界を旅しています。しかし、朝になるとその世界の細部を思い出すことができません。ストーリーすら覚えていないこともあります。しかし、これはもう過去の話です。ANIMAは『ドリーム・カメラ』を開発しました。こちらのフリーダイヤルにお問い合わせいただければ、夢を何度も何度もお楽しみいただけます。
アニマは男性自身の女性的な部分であると同時に、インスピレーションの源でもあります。日常的に感じるふとした無意識。それは夢の中で最も愛する女性の形を通して自分に語りかけてきます。
愛する人を失った人間にとって、アニマとは自分の一部でもあり、最愛の人の残像でもあります。長年連れ添った相手はもはや記憶に深く結びついているので、それを区別することなんでできないのです。
夢は、アニマ(もしくはアニムス)と出会う神聖な場所です。それをテクノロジーによって記録してしまうことは、どのような意味を持つでしょうか・・・。ある人はきっと幸せなことだと言うでしょう。でもある人には冒涜に映るのかもしれません。
トムは「ANIMA」の一連の作品やプロモーションを通して「忘れられないもの」と「忘れなければいけないもの」を我々に問いかけていたのです。
ただ結局のところ、答えはないのかもしれません。「ドリーム・カメラ」は発売されず、ホームページはこんな注意書きを残して閉鎖されたからです。
「深刻かつ凶悪な非合法活動」を行なったため同サイトは当局によって「奪取」され、すでに営業停止となっています。
これは自由な民主主義が政府によって規制されたと見ることができますが、一方でトムはこうも言っています。
トム「それから、僕らはデバイスに言われたことに従うようになり始めていて、振る舞い方まで真似するようになってしまったという現状もある」
(上記インタビューより)
もしかするとアニマ・テクノロジーズは本当に危険な存在だったのかもしれません。夢をデバイスに保存できれば、「アニマ」という魂そのものを支配してしまうことだって出来るからです。それは人間性の支配にほかなりません。
どちらが正しいのかはもはやわかりません。
そもそも正しさなんてないのかもしれません。